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2013/04/28

デザインは共感であるがゆえに共感してはならない

備忘録。今後は少し短めの記事で自分の考えをストックしていこうと思います。

デザインと共感


例えばデザイン思考の5つのステップ (Stanford, http://kashinotakanori.com/bootleg/index.php?dt_text )では、デザインプロセスは「共感」から始まるものであるとされている

誰だったか忘れたけど、「デザインは共感である」言い切っている人もいる
そんな感じで何かをデザインする上で共感ってのは非常に重要。

そもそもでも「共感」とはなんなのか。辞書で引くと


他人の意見や感情などにそのとおりだと感じること。また、その気持ち。

てなことが書かれている。

デザインの中でなぜこれが重要かというと、ユーザの気持ちになって考えることが出来るから。

「あ、ユーザってこう言うことが好きなのか」「なるほど、こんな事考えているんだな」「あ、こう言うことは嫌いなのか」

そこからそのユーザの気持に共感し、良いと考えるものをデザインしていくことで良いものが出来る、というのがデザインの中の1つの哲学のようなもの

陥りがちな共感の罠


しかしそこで危ないのが「あ、ユーザってこう言うことが好きなのか」で終わってしまうこと。
もちろんそれはニードファインディングの中で 述べたような、「Solution (=名詞)」と「Needs(=動詞)」といった話だけではない。

それでは何が問題かというと、例えばユーザが「いちごが好き」と言ったとする。その時に「あ、分かるわ。俺もいちごメッチャ好き」となった瞬間が問題なのである。

特に感受性豊かな人のほうがこの錯覚に陥ってしまいそうな気はする。「いちごの何が好きか」「なんで好きなのか」そこが分かるまでユーザを深堀しないと、「共感したつもり」になってしまう。

結局それでは、ユーザのことなんて考えられない。気がする。



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